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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)6131号 判決

原告

山屋宏

右訴訟代理人弁護士

淺川勝重

被告

株式会社木村技研

右代表者代表取締役

木村元保

右訴訟代理人弁護士

高橋喜一

主文

一  被告は、原告に対し、金八六〇万円及びこれに対する昭和六二年七月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金八六〇万円及びこれに対する昭和六二年七月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(ただし、主位的主請求は、(1) 昭和六一年五月一六日から同年六月一五日までの間の一か月分賃金一〇〇万円、(2) 同年六月一六日から同年九月一五日までの間の各月額賃金一〇〇万円中、各月二〇万円ずつの未払い賃金の三か月分合計六〇万円、(3) 同年九月一六日から昭和六二年四月一五日までの間の各月額賃金一〇〇万円、計七か月分賃金合計七〇〇万円、以上合計八六〇万円であり、予備的主請求は、(1) 昭和六一年五月一六日から同年六月一五日までの間の一か月分賃金一〇〇万円、(2) 同年九月一六日から昭和六二年六月三〇日までの間の各月額賃金八〇万円、計九・五か月分賃金合計七六〇万円、以上合計八六〇万円である)

第二事案の概要

本件は、被告に勤務していた原告が、被告代表者が信仰している宗教団体の宗教行事への参加を拒否したために被告から解雇されたと主張して、賃金の支払を求め、これに対し、被告が原告は任意退職したものであるなどと争った事案であり、原告の請求は、前記のとおりの主位的、予備的各主請求とその各弁済期後(予備的請求中昭和六二年六月分賃金四〇万円については弁済期の翌日)である昭和六二年七月二六日からの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の付帯請求である。

一  (争いのない事実)

1  被告は、排水処理装置の製造、販売、施工、水道衛生工事請負、土木建築工事請負等を目的とする株式会社であるが、その株式は代表者である木村元保が掌握しており、経営の実権も同人が握っている。

2  原告は、人材斡旋業をも営む株式会社経済界の斡旋、紹介で、昭和六〇年九月三日、賃金月額一〇〇万円(前月一六日から当月一五日までの分につき当月二五日払い)の約定で被告に就職した。

原告は、当初は顧問という肩書きで、同年一二月ころからは副社長という肩書きで、総務、財務、営業の全般にわたる組織体制の整備、充実を計る業務を担当し、木村元保の補佐役として被告に勤務し、月額一〇〇万円の賃金の支払いを受けていた。

3  木村元保は、静岡県小山町にある宗数団体「嶽之下宮」の熱心な信者であったが、原告の就職当時には、原告に対して具体的に「嶽之下宮」の話をしたことはなかった。

同年一二月八日ころ、同人は、原告を「嶽之下宮」に連れていき、その拝殿「嶽之下宮参集殿」で「誓詞の集い」という儀式を行い、「生き神様」と呼ばれる鈴木はまから「社員一同が一丸となって毎月七日、一七日、二七日のいずれかの一日に参拝し、大神様からお力をいただくように」というお告げを受け、これに従う意思を表明した。

4  原告は、昭和六一年五月一五日から「おこもり」と称する「嶽之下宮」の行への参加の問題で被告会社に出社してない。

5  その後、原告は、株式会社経済界の常務取締役布旋田次郎による被告会社への復帰の斡旋を受け、同年六月五日、同人とともに「嶽之下宮」に赴いて、鈴木はまと話し合った。そして、原告は、同年六月九日から同月一二日まで「おこもり」をし、同月一三日、木村元保との間で被告会社に復職して継続稼働することを合意し、その後、被告で就労した。なお、被告は、同月一六日から三か月間、月額八〇万円が賃金であるとして、これを原告に支払い、原告は、これを異議を留めず受領した。

6  しかし、その後再び「おこもり」をめぐる問題から、原告は被告会社に出社しなくなっている。

7  原告は、同年一一月六日、東京地方裁判所に賃金仮払を求める仮処分の申請をし、昭和六二年三月一七日、右申請を取り下げた。

二  (争点)

1  原告の主張

(一) 原告は、主位的に、要旨次のように主張する。

木村元保は、原告に対し、昭和六一年四月一八日ころから、他の幹部従業員に率先して「嶽之下宮」の「おこもり」と称する三泊四日の宗教行事に参加するように要求し、原告が、これに従わなかったため、同年五月一三日、「即刻消えてほしい」と告げ、宗教行事への参加の命令に従わなかったことを理由として原告を解雇(第一次解雇)したものであり、再就労後の同年九月初めにも同様の理由で、原告を解雇(第二次解雇)したものであり、これらの各解雇の意思表示は憲法二〇条、民法九〇条に違反する無効のものであって、原告は、なお被告従業員としての地位を有するものであるところ、原告は、就労の意思を有するが、被告はこれを受領しない。被告は、原告の再就労に際して、一方的に賃金を月額八〇万円に減額して支払ったが、原告は、再就労後の雇用条件が原状どおりということで復帰したものであり、右賃金減額を承諾したことはない。

したがって、被告には、(1) 昭和六一年五月一六日から同年六月一五日までの間の一か月分賃金一〇〇万円の、(2) 同年六月一六日から同年九月一五日までの間の各月額賃金一〇〇万円中、各月二〇万円ずつ、計三か月分未払い賃金合計六〇万円の、(3) 同年九月一六日から昭和六二年四月一五日までの各月額賃金一〇〇万円の、各支払義務及びこれらに対する各弁済期後である昭和六二年七月二六日からの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払義務がある。

(二) 原告は、予備的に、要旨次のように主張する。

前記の再就労に際して、賃金月額を八〇万円に減額する合意があったとすれば、被告には、(一)(1)のほか、同年九月一六日から昭和六二年六月三〇日までの間の各月額賃金八〇万円、計九・五か月分賃金合計七六〇万円及びこれらに対する各弁済期後(昭和六二年六月分賃金四〇万円については弁済期の翌日)である昭和六二年七月二六日からの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払義務がある。

(三) 原告は、昭和六一年一一月六日、東京地方裁判所に賃金の仮払い等を求める仮処分の申請をし、昭和六二年三月一七日、右申請を取り下げたが、それは、その間に、被告から再び復帰の申し入れがあって、仮処分の必要性に疑問を生じたからである。しかし、右復帰の申し入れの際の条件は、賃金月額の減額及び地位の低下を伴うものであったばかりか、木村元保に社員に対する宗教活動への参加の強要を改める姿勢がなかったため、原告は、右申し入れを拒絶したものである。

(四) 被告が、原告の不就労の原因を解雇と認識し、かつ、それが無効であると自覚しており、また、原告の就労を求める意思を有していなかったことは次の事情からも明らかである。すなわち、第二次解雇後の原告からの解雇無効を理由とする未払賃金の請求に対しては就労請求どころか何らの返答をせず、仮処分審尋手続において原告の被保全権利の存在が明らかになった後の内容証明郵便による通告には、「東京地方裁判所昭和六一年(ヨ)第二三五六号賃金支払仮処分事件の進行過程をも斟酌して」原告の出社を求めるとし、「出社就労の実行のないときは、当社としても雇用契約の原則上給与支払の義務ないこととなることは勿論であるが、雇用契約の存続についてもそれなりの措置の採られることを認識されたい」と当時雇用契約が存続していることを前提とした記載をし、これに対する原告からの解雇を撤回する趣旨かとの質問に対しては、「山屋が勝手に出社せず無断欠勤を続けているので、やむなく解雇した」と解雇の事実を認める一方、前便による就労要求を維持するとして、「この意思表示は債務履行につき、相当期間を付しての催告と同一の意義を有する」と雇用契約関係の存続、すなわち解雇の無効を自認していたのである。

2  被告の主張

(一) 木村元保が原告に対して「嶽之下宮」への入信を強制したことはないが、資本金一五〇〇万円程度の小企業においては従業員は代表者と運命共同体関係にあり、従業員が代表者と意見が相違するときは袂を分かつべきである。ことに、原告の被告会社における地位は、本件当時、辞令上取締役副社長であり、取締役選任の法的手続に欠缺があるためそれが単なる呼称にすぎないとしても、月額一〇〇万円ないし八〇万円という高額(被告会社の給与規定上、最高額は五五万八八七〇円である)をもって遇されていたのであるから、そのような給与上及び職分上の待遇を受けている者を一般労働者と同一視すべきではない。原告と被告との間は、一般労働関係より高次元の信頼関係、忠実関係を基礎とするものと解すべきであり、原告と被告代表者との意見の不一致は閣内不統一に等しく、意見を異にする者は袂を分かつのが至当である。「おこもり」のことから被告代表者と原告との考え方に不一致が生じた以上、いずれかが身を引くほかはなく、被告代表者が強制したわけではないが、昭和六一年五月一四日、原告が自己の意思で退職したのである。

(二) 原告は、一旦自己の意思で退職した後、株式会社経済界常務取締役の布旋田次郎の斡旋により、「嶽之下宮」に赴いて「神様」と話し合った結果、木村元保に対し、「自分の誤解が分かり申し訳ない。またよろしくお願いする」旨述べ、賃金を一か月八〇万円とすることを合意して、被告会社に再入社したものである。

(三) しかして、原告が同年八月二一日から出社しなかったので、同年九月上旬、被告会社側から原告に対し「出社しないがどういうわけか」と尋ねると、原告は、「出社したくない」という返事をし、若干のやりとりの後、「それでは辞職する」と述べた。被告会社側では、辞表の提出を求めたが、辞めるが辞表は提出しないという回答で物別れになったもので、右のやりとりによれば、原告は被告を任意退職したものというべきである。

(四) 仮に、原告主張のように、任意退職でなく解雇であるとしても、原告の(一)のような地位からして、一般労働者とは違った座標で当否の判断がなされるべきであり、また、原告は、昭和六一年八月二一日以降、正当の理由なく出社していないところ、それは被告就業規則五五条二、三号の懲戒解雇事由に該当する。

(五) 昭和六二年二月一六日に開かれた本件の仮処分の審尋期日において、被告は、「原告を解雇したことはないので、月額八〇万円を支払うから出社するように」と表明した。しかるに、原告が出社しないので、被告は、同年四月六日付内容証明郵便で、同月一〇日からの出社を求めたが、やはり原告は出社しなかった。更に、被告は、同月二四日付内容証明郵便で、強く出社就労を求めたが、原告はこれに応じなかった。

(六) したがって、昭和六一年五月一五日から同年六月五日までの間及び同年九月上旬以降は、原被告間に雇用契約が存在しないから、被告にはその間の原告に対する賃金支払義務はない。

仮に、原被告間の雇用契約が存続していたとしても、右の時期、原告は、被告が原告の就労を拒否していないのに就労しなかったから、ノーワーク・ノーペイの原則により、被告にはその間の賃金支払義務がない。

以上が認められないとしても、原告は、被告が就労拒否をしていないばかりか、布旋田を介して復帰を説得したにもかかわらず、就労しようとせず、再度の出社要求をも拒否したのであり、原告の前記仮処分申請は、仮処分により定額給付を確保した上で、出社することなく、自己の再就職その他の生活手段確立を目的としたものである疑いがある。かかる事情下で賃金の支払を求めることは信義則に違反するものというべきである。

また、仮に、被告に責任があるとしても、過失相殺の法理により、原告の請求にしかるべき減額を行うべきである。

第三争点に対する判断

一  当裁判所の認定した事実は次のとおりである。

1  被告は、排水処理装置の製造、販売、施工、水道衛生工事請負、土木建築工事請負等を目的とする株式会社であるが、その株式も経営の実権も木村元保が掌握している。

2  被告は、もともと積極的に新製品の開発に努めてきたが、更に企業組織の近代化を計って業容拡大を実現するため、木村元保社長の片腕となるべき人材の紹介を株式会社経済界(雑誌「経済界」の出版等のほか、経営管理者の職業紹介事業も行っている)に依頼していたところ、同社は、原告からの就職斡旋依頼を受けて、原告の経歴(昭和三五年、本田技研工業株式会社に入社以来、同社の営業所長や子会社の営業部長等を歴任した経歴)等から、原告が被告の要望に適任と考えて、原告を被告に紹介した。その結果、原告は、昭和六〇年九月三日、賃金月額一〇〇万円の約定で被告に雇用された。

3  原告は、被告から、就職時の約束どおり、当初は顧問という肩書きで、同年一二月からは副社長という肩書きの下に、旧来の個人商店型の企業組織から近代的法人企業組織への変革を計るべく、主として、社内の組織・機構の整備・改革(専門部会制の発足、休祭日の保守サービス体制の整備、専門職制や社員の勤務評定体制等の人事管理面の整備等)、会計処理の適正化、債権管理の充実、経営指標による企業会計の計画化、経費の節減、取引先や協力工場との基本取引契約の書式設定と締結などの施策を立案、進言し、これらを実行するなどして、木村元保の補佐役として同人の指揮命令に従って勤務し、月額一〇〇万円の賃金(被告会社賃金規定上の支払方法どおり、毎月、前月の一六日から当月の一五日までの賃金として二五日の支払)の支払いを受けていた。

なお、昭和六一年一月六日付で原告が被告会社の取締役に就任した旨の登記手続が経由されているものの、同手続の申請書添付書類記載の昭和六一年一月六日午後二時からの臨時株主総会なるものは実際には開かれておらず、また、原告がその後現実に正規の取締役会に出席するなどして取締役としての活動をしたこともない。

4  木村元保は、静岡県駿東郡小山町にある宗教団体「嶽之下宮」の熱心な信者であり、しばしば被告会社の重要な施策の決定や人事など広範な問題に関して(もとより原告の採用についても)、「嶽之下宮」主宰者(統理)である鈴木はまに相談し、そのお告げに従っていたけれども、原告を採用する際には、被告会社の施策決定方法等にかかわる同人と「嶽之下宮」の右のような関係について話をしたことはなく、原告はこれをまったく知らずに被告会社に就職したものであった。そしてまた、昭和六〇年一二月までは、被告会社で従業員全体の行事として「嶽之下宮」への礼拝が行われたこともなかった。

5  木村元保は、昭和六〇年一二月八日ころ、被告会社従業員らをも「嶽之下宮」における宗教活動に参加させることとし、同日、まず、原告と自己の弟である木村朝映とを「嶽之下宮」に連れて行き、その拝殿「嶽之下宮参集殿」で「誓詞の集い」という儀式を行い、「生き神様」と呼ばれる鈴木はまから「社員一同が一丸となって毎月七日、一七日、二七日のいずれかの日に参拝し、大神様からお力をいただくように」というお告げを受け、これに従う意思を表明し、以後、昭和六一年一月一三日、同年三月二七日、同年四月一七日、同年五月二七日、同年六月二七日、同年七月一七日、同年八月二七日と、ほぼ月例の行事として課長以上の管理職ら約二七名を「嶽之下宮」に参集させ、参拝等同所における宗教行事に参加させた。

6  木村元保は、原告に対し、昭和六一年春ころから、「おこもり」と称する泊まり込みの行(正式には三泊四日)に他の幹部従業員に率先して参加するよう求めるようになった。しかし、原告は、「七の日」という決まりのために、平日であっても課長以上の管理職らが原則として全員静岡県にある「嶽之下宮」まで出向いてしまうというのであれば、社内は若い社員だけになってしまい、企業活動上不都合である、宗教と経営の一体化には社内でも疑問を呈し、批判をする者もある、原告の企画、提案している方策の推進によって経営内容は上向くはずだ、宗教と経営とを切り離して営業の体制と内容の改善を計るのが先決だとなどと、度々木村元保に反論し、信仰の自由を主張して「おこもり」への参加を拒否した。しかしながら、木村元保は、こうした原告の主張に対して、あくまで信仰に基づく精神論を力説し、「強制はしない」と言いつつも、原告の「おこもり」への参加の拒否に対して、「生き神様は本物である。確かめるためにもまず訪ねるべきだ。行かなければ分からない」と「おこもり」への参加をあくまで求めて、両者の考え方は平行線をたどった。

木村元保は、同年五月一二日、出社した原告に対して、紹介者である株式会社経済界の佐藤正忠を訪ねるよう指示した。同日、同社の佐藤正忠を訪ねた原告は、「木村社長と『生き神様』とを切り離すことは不可能であり、原告は副社長なのだから、いわば女房役であり、社長と一心同体でなければならず、『おこもり』ができないというのであれば解雇の可能性もある」旨告げられ、同人に対し、自分から退職するつもりはないと述べて別れた。

しかして、同月一三日、木村元保は、出社した原告に対し、「消えてほしい」と言い、「消えろということは退社ですか」との原告の問いに「そのとおりだ」と答えて解雇の意思を表示した。原告は、やむなくこれに従うこととし、引き継ぎ業務を今週中にする旨述べたが、木村元保は、「いや、明日から来なくて良い」などと述べ、こうしたやりとりを経て、原告は、木村元保から、翌日早朝の幹部会への出席を最後に退職するように命ぜられた。

翌一四日午前七時三〇分ころからの被告会社の幹部の早朝会の席上で、原告は、「会社が発展途上にある時期に残念だが、社長の意向で退職する」旨挨拶をした上、その後被告会社に出社しなくなった。

7  原告は、木村元保から申し渡された解雇にそのまま従ったものの、被告での収入や役割には満足しており、被告会社に入社して試みてきた諸施策の推進によって被告会社は一層の飛躍を期待できると考えていたため、仕事半ばであるという思いが強く、収入、地位を失ったことによって生ずる生活上の不安ばかりでなく、仕事の成果に対する未練もあって、憤りの気持ちから、取引先へ宗教上の問題から解雇された旨を付記した挨拶状を出してみたり、「嶽之下宮」の鈴木はまに対して長文の手紙で仕事が中途半端で終わることが残念でならないという心情を吐露したりしていたところ、他方、木村元保も、原告の力量を十分認識していたため、原告を解雇したことには、はやまったという思いをもっていた。しかして、木村元保は、原告が鈴木はまに書き送った右の手紙を見せられたので、同年五月末ころ、株式会社経済界の布旋田に右の手紙を示して、陳謝の上出社するように原告を説得してほしいと依頼した。同人は、木村元保にも原告が陳謝しさえすれば復帰させたいという希望があることを知り、他方、右の手紙を読んで、原告が「嶽之下宮」に対する信仰を拒んでいる反面、被告会社における仕事自体に対しては大いに未練をもっていることを察し、原告に連絡をとって被告会社への復帰を勧めた。同人は、原告に会って、「社長の片腕という位置付けにある以上、社長を理解する上でも、一度『おこもり』を経験してみたらどうか」、「一度『神様』に会ってみたらどうか」などと説得し、信仰にはまったく興味がないと渋る原告を「嶽之下宮」に誘った。その結果、原告は、布旋田らとともに、「嶽之下宮」を訪れてみることになり、同年六月五日、布旋田は、木村元保に原告を「嶽之下宮」に連れて行くことを連絡した上で、原告を「嶽之下宮」に同行した。同日朝から、「嶽之下宮」において、鈴木はまから、被告会社発展のために「嶽之下宮」に入信して尽くすように強い説得を受け、午後からは木村元保も加わって話し合いが行われた。原告に対し鈴木はまから、「おこもり」をして「嶽之下宮」の者の言動を目の当たりにすることによって、木村元保の言っていることが分かるはずだという趣旨の話しが繰り返され、また、「木村社長を助けてほしい。木村社長は即決しすぎた。原告が最初に『おこもり』を始めないと、被告会社幹部はいつになっても参加しない、原告を抜かして始めるわけにはいかない」などと、原告自身が被告会社にとって必要な人材であるのみならず、他の従業員に率先して「おこもり」をすべきであるという趣旨の強い説得が行われた。この間、鈴木はまらの言動の何を契機として原告が突然に翻意するに至ったかはにわかに断定し得ないが、ともかくも、原告は、鈴木はまの説得に少なからず感銘したこともあって、「おこもり」を体験して被告会社に継続勤務しようと翻意するに至った。

8  同年六月九日、原告は、「嶽之下宮」に赴き、以後同月一二日まで二泊三日の「おこもり」をし、「嶽之下宮」で行われている様々な活動に加わり、それなりの感銘を受けて、その旨の感想と決意とを記載した書面を提出した。

そして、原告は、同月一三日、木村元保との間で、原告が木村元保に陳謝する形で、被告会社に復職して継続稼働することを合意し、その際、木村元保から、肩書きは「副社長」ではなく、「顧問」とし、賃金は月額八〇万円とする旨告げられて、これを了承した。なお、原告は、復帰後、同年六月二五日支払分の賃金支払を期待していたが、同日の賃金の支払はなかった。

9  しかして、当時被告会社の業績が低迷していた一方、大手のスーパーマーケットに対する製品納入の下話し等もあったため、原告は、従前からの企画の再分析と営業努力に力を注ぐべきであると考えていたところ、同年八月二七日の「嶽之下宮」拝礼の際、木村元保ほか被告会社幹部と原告とは、鈴木はまから、「幹部の努力が足りない。このままでは六か月後には会社は倒産する。私のところへ力を借りに来なければだめだ。二一年間のお告げをしてきて、こんな悪いお告げが出たのは初めてだ」と、「嶽之下宮」での宗教活動に更に積極的に被告会社幹部が参加するように言われ、木村元保は、同月二九日、被告会社において緊急役員会を開催し、右のお告げに対して「努力不足の過ちのお詑びをしてお許しをいただかねばならない。今後、最低三か月間、毎週土曜日、日曜日に役員全員が『おこもり』をせよ。同意できない者は退社してもらう」旨宣言するに至った。原告は、前記のような考えから、「嶽之下宮」における宗教活動に時間を費やすべきときではなく、右の要求に応ずることは被告会社の営業成果の観点からはマイナスであるという思いがあって、「おこもり」の予定された同月三〇日(土曜日)、電話で被告会社に休暇をとる旨連絡して、「おこもり」に参加しなかった。そして、同年九月一日(月曜日)、被告会社に出社した原告は、同日午後、長時間にわたって木村元保と話し合った。原告は、木村元保に対して、前記のような考えを述べ、幹部総出で「嶽之下宮」の行事に参加することは所詮意味がなく、被告会社の営業成果の観点からはかえってマイナスであり、そのようなことをしているときではない、宗教と会社経営とは切り離すべきだと進言したが、木村元保は業績不振は従業員らの士気の緩みからきているもので、幹部の精神的な立直しが先決であるとして、「私の心は生き神様が握っている。私を説得したかったら生き神様にぶつかってみろ」と述べて、話し合いは再び平行線をたどり、原告が「話しの転換は困る。『嶽之下宮』へ行く意志はまったくない。仕事には全力を尽くすが、宗教とは一切切り離して今後勤務したい」旨申し出たのに対して、木村元保は、「器の成長のために生き神様にぶつかって自分の眼で確かめろ。自分と一緒に行動する気があるのなら、まず、生き神様にぶつかれ。それがいやなら、会社では不要だ」と述べて、原告の申し出を拒否した。

その結果、原告は、同月四日以後被告会社に出社していない。

なお、同年九月一日施行の被告会社組織規定上、原告には、企画管理室長という名称が付されていた。

10  原告は、原告訴訟代理人を介して、被告に対して、解雇無効を主張して未払賃金の請求等を求める内容証明郵便による通知をし、これに対する何らの返答がなかったため、昭和六一年一一月六日、東京地方裁判所に賃金の仮払い等を求める仮処分の申請をし(同年(ヨ)第二三五六号事件)、同事件の審理が進められた。右仮処分事件の審理期間中、木村元保は、原告を解雇していないので原告の出社を求める旨主張したが、その条件として提示された賃金額は原告主張の賃金額より低額であり、また、その地位もスタートからのやり直しをしてもらうということであったのみならず、宗教行事と企業経営の関係についての木村元保の考えに変更のあることは示されなかったことなどから、原告は、右要求には応じなかった。しかし、就労すれば賃金を支払う旨の申し出があった以上、仮処分の必要性には疑問があると判定される可能性があるなどと考えた原告訴訟代理人の判断で、昭和六二年三月一七日、右仮処分申請事件の申請は取り下げられ、間もなく、本訴が提起された。

なお、被告は、更に、被告訴訟代理人において、同年四月六日付けで、原告に対し、同月一〇日から出社するよう求める内容証明郵便による通告をした。右通告には、「出社時点において、当社の就業規則及び労働法規の限界内において、代表取締役又はその代理者より、貴下の担当職務について指示を行い、現実の服務就労に入る。給与は年俸九六〇万円とし、必要あればその範囲内において支給名目区分を行う。以上は東京地方裁判所昭和六一年(ヨ)第二三五六号賃金支払仮処分事件の進行過程をも斟酌して通告するものである。出社就労の実行のないときは、当社としても雇用契約の原則上給与支払の義務ないこととなることは勿論であるが、雇用契約の存続についてもそれなりの措置の採られることを認識されたい」との記載があった。

右通告を受けた原告は、本件解雇が、原告が宗教と経営の分離を主張し「嶽之下宮」での宗教行事への参加を拒否したことに端を発したものであるにもかかわらず、これについては被告からの何らの見解の表明もなかったのみならず、賃金額が原告主張額より低額であったこともあって、右要求に直ちに応ずることなく、原告訴訟代理人において、被告に対し、雇用契約上の年俸は一二〇〇万円であるとして、その支払意思があるか、右の出社要求は本件解雇を撤回する趣旨かなどと記載した「質問並びに支払請求書」と題する同月九日付け内容証明郵便を送付した。

これに対し、被告は、被告訴訟代理人において、同月二四日差出しの内容証明郵便で、解雇撤回の有無の確認については、「当方より積極的に解雇したものではなく、山屋が勝手に出社せず無断欠勤を続けているので、やむなく解雇したものである。そして、この問題につき山屋側で異論があれば、山屋側で予定されている所謂空白期間中の給与支払請求訴訟において、裁判所の判断を受ければよく、当方は確定判決に従う」と、また、年俸については、「当初の年俸一二〇〇万円の約定につき、所謂第一次解雇後の復職の際、双方合意の上以後は年俸八〇〇万円と決定したものである」と回答し、更に、「今後の進行にも鑑み仮処分審尋経過再認識のため以下のとおり申し述べる」として、被告側の主張を述べた上、「当方としては本書面においても、前便による申入れの効力を維持し、前便同旨において速やかなる出社、就労を求めるものであり、この意思表示は債務履行につき、相当期間を付しての催告と同一の意義を有するものであることを明言する」と通告した。

11  なお、被告は、原告に対し、昭和六一年六月分の賃金は支払わなかったが、同年七月分から同年九月分までの賃金として各月八〇万円を支払済みである。

((証拠略)原告本人、被告代表者の各供述及び弁論の全趣旨)

二  以上の事実によれば、昭和六一年九月一日に、被告代表者木村元保は、「嶽之下宮」での宗教活動への参加なくしてする原告の就労を拒否したものと認められ、原告は、被告から解雇されたものと認めるのが相当である。

三  事実の認定等に関して、以下、補足説明する。

1  被告は、第一次解雇も第二次解雇も原告自身による自発的な退職であると主張し、証人布施田次郎の証言を援用するが、解雇か任意退職かは、被告代表者木村元保と原告との昭和六二年五月一三日及び同年九月一日のやりとりの内容いかんによることで、その場にいなかった布施田の供述はもともと決定的ではない。事後の当事者の態度、言動という観点からみても、同証言はむしろ、解雇の事実を推認せしめる事情を相当に含むものであって、任意退職との主張に副うかのごとき部分は採用し得ない。

(一) 同証人は、原告に就労意思がなかった徴表であるかのように原告に次のような発言があったと供述する。すなわち、第一次解雇の後に、同証人が会って話した際、原告が、「社長の信仰に対する考えが理解できないから辞めたい」と言った、その後、「嶽之下宮」に赴いて鈴木はまらと話し合った際、原告が翻意する直前の場面で、原告が、「もういいんです。とにかく辞めます。私はタクシーの運転手をやってでも食っていけますから」と言ったと供述する。しかし、同証言を含む前掲各証拠によれば、当時、原告は、被告会社での業務遂行自体については意欲も持っており、また、仕事や収入に未練が大いにあったけれども、「おこもり」をはじめ宗教行為に対しては関心がなく、むしろ、これを嫌っていて、「おこもり」を要求されたり、業務上の事柄が「嶽之下宮」のお告げによって決定されたりすることに反対していたことが明らかであり、「おこもり」を拒否し、「嶽之下宮」と無関係に就労することが、木村元保の容認しないところであったのも明白であったから、あくまでこれらを受忍するよう要求される前提での就労は拒否するという趣旨で「辞めたい」と述べたものと認められるのであって、原告の発言中にそのような言辞があったという同証言の一節を捉えて、原告に任意退職の意思があったと疑うことは相当でない。前記認定のとおりの経過で、木村元保から解雇を申し渡され、不本意にも出社していなかった状態下での発言として、これらの発言に何ら不自然なものはなく、同証人の右供述は前記認定を覆すに足りない。

(二) また、同証人の供述中には、昭和六二年九月ころになって再び原告が出社しなくなった後、同証人が原告を呼び出して面談した際、原告の表現の中に、「あんな会社にいたくない」というふうな表現があったとして、その趣旨の中には、木村元保と被告会社幹部であるその弟達との不仲の問題が含まれていたかのようにも供述する部分があるが、他方、同証人が原告からその不仲の話を聞いたというのが、そもそもこのときなのか、それとも第一次解雇後に聞いた単なる愚痴であったかも結局ははっきりしないというのであり、しかも、話の内容も、経営方針を幹部で決定する際に兄弟喧嘩のようにみえて腑に落ちない場合があると原告に述べたことがあるというにすぎず、かかる発言があったとしても、木村元保と同じ信仰に帰依しないことによって解雇されたことに対する欝憤が言わしめたことと解する余地が十分あるから、右供述は前記認定を覆すに足りない。

2  被告が「被告の主張(二)」において主張するところは、原被告間の法律関係について、原告の被告会社における給与及び職分上の待遇から、それが雇用契約に基づくものでなく、委任契約に基づくものであるとの主張のようにも解し得ないではない。そこで、この点についても念のため付言しておく。

一般的にいえば、理念型としての会社における役員と会社との法律関係は委任契約と解するのを相当とする場合が多いことは確かであるけれども、本件においては、当初の採用時の原被告間の法律関係が雇用契約であることは明らかであるから、問題は、原告が昭和六一年一二月初めに「取締役副社長」という呼称を与えられた時点で、当事者間の法律関係が異なった法的性質のものに変ったとみることが相当であるかどうかという点にあることになる。しかして、前掲各証拠によって認められる原告の業務遂行の状況をみれば、原告は、被告代表者の補佐役として、終始、その指揮命令のもとに労務の提供をしていたものであって、労務提供の実態に使用従属関係の認められる状態が継続していたものといわざるを得ず、右の時点で、原被告間の法律関係が雇用契約によるものでなくなったと解することはできない。なお、本件賃金額は、なるほど、当初月額一〇〇万円とかなり高額であり、また、(書証略)によれば、被告会社の給与規定上、当時従業員の「本給」の最高額が五五万八八七〇円と定められていたこと(しかし、右給与規定上の賃金体系は、賃金を「基本給」と「手当」とに分け、更に「基本給」を、「本給」と「加給」に分け、また、「手当」を、「管理職手当」、「職務手当」、「通勤手当」、「家族手当」、「住宅手当」その他の手当に分けている)が認められる。しかし、本件賃金額が賃金規定上の「本給」の最高額を超えているという一事をもって、これを賃金といえないとすることのできないことはいうまでもなく、本件の程度の賃金額は、当該企業の業種、業態、業容と当該従業員の担当業務内容、地位のいかんによっては、あり得る額であって、これをもって原被告間の法律関係が雇用契約の範疇を逸脱するとはいえないのみならず、更に、株主総会等において原告に対する支給額を報酬額として決定したことを窺わせる何らの証拠もない。

なお、被告は、被告会社の企業規模並びに原告の被告会社における給与及び職分上の待遇からすれば、原被告間の関係は、一般労働関係より高次元の信頼関係、忠実関係を基礎とするものと解すべきであり、原告と被告代表者との意見の不一致は閣内不統一に等しく、意見を異にする者は袂を分かつのが至当であると主張するが、原被告間の関係が雇用契約関係であるとしか解し得ない以上、また、被告による就労拒否の理由が、当事者間の信頼関係、忠実関係上に瑕瑾を生じたというものではなく、単に宗教上の信仰拒絶の点にある以上、右主張は採用の余地がない。

3  なおまた、被告訴訟代理人は、「嶽之下宮」は宗教ではなく、精神修養道場のようなものであると主張する。しかしながら、同一の信仰をしている被告代表者も証人布施田次郎も、ともに、鈴木はまには霊能力があると信じていると明言するところであって、前掲各証拠によれば、「嶽之下宮」が神ないし超越的絶対者に対する帰依、信仰を中核とする宗教であることに疑いの余地はなく、「嶽之下宮」の活動内容の中に被告訴訟代理人の主張するような精神修養に役立つ側面があるとしても、そのことによって宗教性を否定することはできない。

4  ところで、原告は、昭和六一年六月一三日、木村元保との間で被告会社に復職して継続稼働することを合意した際、木村元保から、給与は従来どおり月額一〇〇万円だが、一か月間だけ二割カットの月額八〇万円とする旨告げられただけで、しかも、原告は右減額を了承していない旨主張する。しかし、原告の復帰に際しての話しの内容は、被告代表者の供述によれば、いずれ月額一〇〇万円に戻すという含みはあったという程度のものであったことが認められ、原告本人の供述によっても、「今月は八〇万円だがすぐに元に戻すから」という口振りから一か月後には戻るものと思ったというにすぎない。むしろ、前記認定のとおり、原告が月額八〇万円の賃金を同年七月、八月には異議なく受領している事実や、原告が第一次解雇後一旦「おこもり」に参加するつもりになり、その経験をした上で、結局、木村元保に陳謝する形で第一次解雇後の復帰が行われた事実などに照らして、復帰時の条件提示に関する右各供述の趣旨を考えると、原告は賃金月額の減額に同意して復帰したものと認めるのが相当であり、原告の前記供述は右認定を覆すに足りない。

四  原告の賃金債権の帰趨について判断する。

被告は、原告に対して度々就労を求めたのに原告がこれに応じなかった旨主張し、原告は、被告の原告に対する右就労請求は原告申請にかかる仮処分の必要性を減殺することを目的としたものにすぎず被告の真意ではないなどと反論するが、右就労請求に原告主張のような目的があったかどうかの点は措き、少なくとも、それは、賃金を月額八〇万円ないし年額八〇〇万円と減額することを前提とするものであって、しかも、原告の被告会社において予定される職務内容についても原告が従前取り組んでいたものとは同一とはいえないばかりか、証人布施田次郎の証言によれば、木村元保は、第二次解雇後も、被告会社幹部を引き連れて「嶽之下宮」への「おこもり」を続けていることが認められ、また、前記の被告から原告に対する各内容証明郵便等による通告においても、被告による就労拒否の原因となった宗教と経営に関する被告代表者の考えについてまったく触れられていないのであって、これらの事実に、被告代表者の供述及び弁論の全趣旨を総合すると、右の時点で同人は、「嶽之下宮」に対する信仰の問題と被告会社の経営の問題との関係について何ら考えが変わっていなかったことは明らかである。

木村元保が「嶽之下宮」に対して厚い信仰を持つことはもとより自由であるが、他方、幹部従業員として同人を補佐すべき地位にあるからといって、原告もまた同一の信仰を持たなければならないということはできないことは多言を要せす、「嶽之下宮」における宗教行事への参加なくしてする労務の提供を拒否することは許されないものというほかはない。したがって、木村元保が、「嶽之下宮」における宗教行事への参加なくしてする原告の労務の提供を拒否する意思を明確にしていた以上、その見解の変更が明示されなければ、原告の就労債務は、その債権者たる被告の責に帰すべき事由により履行不能の状態にあったものといわざるを得ないから、民法五三六条二項本文により、原告は賃金債権を失わないものというべきである。

五  その余の被告の主張について判断する。

1  被告は、原告が、昭和六一年八月二一日以降、正当の理由なく出社していないとして、それが被告就業規則五五条二、三号の懲戒解雇事由に該当すると主張するが、原告の不出社は、被告による就労拒否の結果であるから、その余の点について判断するまでもなく、右主張は採用し得ない。

2  また、被告は本件賃金請求が信義則に違反すると主張するが、本件証拠上、右主張を肯認し得る事情は何も見当たらない。

3  更に、被告は、過失相殺の法理により、原告の請求にしかるべき減額を行うべきであると主張するが、契約に基づく債務の履行請求権について過失相殺の法理を適用する余地はなく、他にも原告の請求を減額すべき事由を認めるに足りる的確な証拠はない。

六  以上のとおりであるから、被告には、第一次解雇後未払いのままである昭和六一年五月分の原告に対する賃金一〇〇万円及び再就労に際しての合意により月額八〇万円に減額された賃金の同年九月一六日以降の分の各支払義務があり、原告の請求中賃金月額が終始一〇〇万円であったことを前提とする部分は右の限度を超える部分につき失当であるが、月額八〇万円との変更を前提とするものは理由があるので、昭和六一年五月分賃金一〇〇万円のほか、原告が予備的に請求する同年九月一六日以降昭和六二年六月三〇日までの間の月額賃金各八〇万円、計九・五か月分の賃金合計七六〇万円(以上合計八六〇万円)及びこれらに対する各弁済期後(昭和六二年六月分賃金四〇万円については弁済期の翌日)である昭和六二年七月二六日からの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払請求を認容することとする。

(裁判官 松本光一郎)

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